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2006年 02月 05日
言葉にはできない、ならない世界を美術を通して表現する者として、言葉と人間との関係、言葉以外の人間の表現力と言葉との関係について考えるのは、ごく自然のことのように思われる。人間は精神、そして肉体を持ち合わせた高尚で、時によっては愚かにもなりうる複雑な生き物だと思う。私は、精神世界を無視して現実の物理的な感覚だけをたよって生きたりできない人間なので、私にとって芸術は、私自身の魂の死活問題になってしまう。人間が精神的に健全に生きていく上で、芸術が言葉では捉えられない日々の現実や体験を人間同士に伝える役割を担っていると社会が認識し、その重要性を人類が再確認した時に人間が行き着くSpiritualな境地は、想像を絶するユートピアなのではないかと思っている。その時点から、今後の芸術に求められる役割はさらに人類にとって重要になってくると思う。そして、人間の精神にとって、真の芸術が不可欠ともなる素晴らしい日もくるかもしれないと、私の胸は希望で躍る。私は、その日を夢見て、そして、この現代にも肉体を離れ、頭で理解した仮の現実や世界感を打ち破り、人間から人間への純粋な魂へのメッセージとしてのアートを感じてくれる人々と出会うため、そして、そういうことを気づかせるために、私は、人間界で命が続く限りの魂の全エネルギーを芸術に捧げるために生まれてきたと実感している。 人間同士が共存していく上で、最低限の意思伝達をする方法として言語が生まれ、それぞれの社会形態の需要に応じて単語が誕生してきた。以前までは伝えることができなかった曖昧としていたある現象、ある心理状態、ある感覚も、初めて時代が成熟することでそれらに漸く焦点が当てられ、新しい言葉が生み出されていく歴史が繰り返されてきたのだと思う。それらは、長年フワフワとした感覚的に人類が捕らえていたものが、一般的に一つの現象や実態として認識され、単語として新しく表現されるところまでやっとたどり着いた画期的な小さな文化・精神革命だとも言える。そうした経緯は、学者だけに限らず、その時代を生きている一般市民の意識が新しく生まれる言葉の意味を理解し、その言葉を要求する知的精神的基盤を設けたことで、その言葉の需要度を生み出したからだと思う。そして、その言葉の普及率も自然と上がっていき時間を掛けていずれ社会全体に行き届く。それと同時に、一方では、急速に発展しつづける科学技術に呼応した新しい発想、発明などが日常においての人間の伝達の混乱を避けるために新しい言葉となって社会に潜り込んでいく。つまり、言葉を包括した言語という一つの媒体は、ただ単にコミュニケーションの道具としてではなく、それが形成された文化を鏡のように映し出していることが理解される。その点から言っても、言語は伝達機関とは別にその社会の文化的、精神的な成熟度を提示する二重の役割を担っているのが分かる。 さて、次が問題となる。芸術について語ろうとした場合、まず、直面する事実は芸術を表現する十分な語彙がまだ現代の言葉に存在していないということだ。例えば、一連の芸術に携わる感情や現象を文章としてなんとか述べることができても、芸術家が体験する「普遍的な」ある感性や感覚、または作品を作成している時に味わう神秘的空間や体験を表現する言葉、作品を通して他の人間と精神的繋がりをもった状態などを独立した単語として伝えることが出来ない実情に突き当たる。これは、人類の発展と言葉の発達の関係から考えた場合、現代に生きる人々が一般的に理解できている芸術の在り方と本来芸術が打ち出していける人類進歩のための潜在的な芸術の役割、またその威力への理解との位置関係が成熟段階に達していないことが読み取れるように私には感じられる。しかし、それも無理もない事だとも思う。というのも、長い人類の歴史を振り返ってみると、芸術家が魂の表現としての芸術を探究し、それを視覚的なメッセージに作り上げ、自由意志のもとで作品を発表することで生計を立ててきた歴史は非常に浅く、そして、そういう風なことができるようになったのもごく最近の話だからだ。そして、一般的に、現代の美術が達成している目標は、まことの芸術のあり方を追求する歴史が未熟な為と、現代においての資本主義社会と目まぐるしい情報戦争の中で、芸術が金銭的な成功への欲望に摩り替えられ、作品の神秘性、精神性、文化性、社会性に魂が注がれていない芸術が世に紹介されている。そこには、本来芸術が求める人類発展のための貢献と成果はほとんど無く、この風潮が人間と真なる芸術の位置関係をさらに広げてしまうと思うと、なんとかしなくては、と私は落ち着かなくなってしまう。私にとって芸術とは人間を愛に還元する媒体そのものです。私たちは、みんな、愛でできています。芸術は、本来、そんな生命と愛のつながりを思い起こさせ、人間が共にこの空間を共存していることを認知し、共に与えられた命を祝福することでこの生命体の中で愛を分かち合って生き残っていくための表現方法なのです。 密な人間関係が稀有になってしまったこんな時代だからこそ、いまこそ真の芸術が到達できる精神的革命意識に目覚めた芸術家たちが本領発揮する時だと思っています!時代に流されず、現代の人びとの心を芸術で結ぶために数多くの芸術家が今後たくさん現れることを私は待ち望んでいます。そして、自分の使命を信じ「人間と精神世界を結ぶ」芸術、「社会にポジティブなエネルギーを送ることができる」芸術、「生きていることへの好奇心が刺激される」芸術、私たちを「愛に還元してくれる」芸術を作り出すことに命を捧げる同胞の魂にエールを送りたいです。そして、この場をかりて、私にたくさんのよいエネルギーを与えてくれる素晴らしい作品を生み出していってくれているほかの芸術家に感謝すると共に、私自身、素晴らしい人びとに芸術を通して出会う機会を得てきたことに心からの「ありがとう」がいいたいです。みんながいるから、頑張れる、本当にそうです。どうもありがとう。私は、人間がみんな大好きです。この宇宙が好きです。人間はみんな、精神的な生き物です。みんな、みんな人間は純粋なんです。 沢山の愛を込めて 安達 木綿子 2006年 2月 お問い合わせのメールアドレスは、こちらになります。
by superfineartist
| 2006-02-05 13:36
| 芸術論
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