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2010年 07月 30日
さっきまで、生きていた人が、突然、今、亡くなって、
さっきまで、存在していなかった一人の人間が、今、誕生して...。 人間の歴史は、気が遠くなるくらい、その当たり前を、繰り返してきた。 そして、星の時間からすれば、瞬きの瞬間くらいの短い人生が、私にも与えられて。 命に何を求め、 人生で何を確立し、 魂から何を伝え、 次の世代に何を残すことが、 私にできるのだろうか。 ................................................. 私が展示した作品に涙を流してくれた人がいた。 その人は、年配で、多くの物語を語れそうなほど、顔に味があって、 全身に強烈な程、するどいエネルギーが漲っている人だった。 後、その人が、ファッション界で歴史に残る有名な写真家だと知った。 これは、かれこれ、10年前の私の初の2人展での出来事。 彼は、自国へと帰って行った。 世の中は、狭いもので、その写真家の大親友だというアーチストと、これまた偶然と知り合うことになり、その写真家が自ら命を絶ったとその人から聞くこととなった。それから、1年以上の時間が経過した。 私という人間と私の芸術に初めて多くの希望と勇気をくれた、本物の芸術家。 年齢、性別、国境を越えて、理解した魂の共鳴。 彼の死は、ある意味で、私の心の師匠の死でもあった。 そして、同胞の魂との別れ。 私と彼は、連絡を取り合ったりしていたわけではないけれど、 彼の心がいつでも私に対して開いてくれていることは、確信していた。 彼のことが新聞の一面などに載っていると、私も嬉しかった。 私を見守ってくれていた、ある一人の大きなエネルギーが、地球から消えたのだ。 これは、初めてのことじゃ、ないけれど、何度体験しても、慣れる事はない。 世界中の時の人を撮影し、華麗な人生を送っていた偉大な、写真家。 結局、寂しい死を迎えたのだ。 彼の心は、とてつもなく、一人ぼっちだったんだろう。 彼の死後、初めて、今日、彼のことをインターネットで調べてみた。 なんて、いい写真を撮っていたんだ。 なんて、いい顔をした写真家なんだ。 でも、彼の心の奥に何が閉まってあるのかは、誰も知らない。 彼の素敵な顔には、沢山の苦悩があった。 あなたが、他界して、私は、寂しく思う。 あなたの背負った心の痛みを想像すると、私も、辛くなる。 あなたが、いないことが、未だに、信じれなくて、心が麻痺してしまう。 あなたとの出会いが、これからも、私の心に生き続ける。 そして、あなたは、天界で、微笑んでいる。 ....................................................... 今の現実を生きながらも、私は、同時に、私の心に染みている多くの古い思い出を心に蘇らせ、それを、あたかも現実かのように、その体験を再現して、時間を費やすことがある。私が選ぶ体験は、全部、私の心を感情的に幸せで楽しい感覚で満たしてくれることに自ずと絞られる。それは、過去の恋人達であったり、両親や祖父母、愛する姉や、他の芸術家との交流や、友人たちとの時間であったりと、いろいろだ。 沢山の映像と感情がこみ上げてきて、胸が一杯になる。 心が、至福で満たされて、肺がぽかぽかになって、気球のように、宙に浮けるような気分になってしまう。誰も、もはや、私でさえも、私の感情の高揚を止めることはできない。 私は、夜風に当たりながら、屋上に一人で行って、椅子を相手に、自由に踊り出す。 ふと、楽しかった思い出を一緒に共有した私の愛する人たちの声が聞きたくなったりしてしまう。 一度通じ合った心は、一生通じ合うと思うのは、私のナイーブさからなのだろうか。 でも、現実的には、連絡が途切れてしまった人たちは、私が、過去を美化しているだけかもしれないから、突然、懐かしいと思う人達に連絡を入れても迷惑なことでしょう。それに、今更、何かしたい訳でもないし。私は、ただ、よき青春時代の思い出に酔っているだけなのだ。 でも、意識的に、自分からできる感情の再現は、それこそ、文学を読んでいる気分と重なり合う気がする。そうでもしないと、たまに私を襲う心の虚無感をどう埋めればいいのか、分からない時があって。その無限な、名の無い空間の深さは、迷いや恐怖のそれとは、違って、不思議と、あやふやなとり止めの無い空間から、私の命と人生への好奇心と愛の深さに摩り替っていくのだ。 普通の人の感情の振り子より、はるかに大きく動く私の心の空間を埋めるのは、容易なことじゃ、ない。それを、一番身近でみて分かっているのは、私の主人でしょう。(夫は、天が授けてくれた贈り者だと思っている。) ................................................... 私は、文学を読んでいる時も、まるで、自分のことのように、本の世界が自分の世界となってしまう。すべてを、目撃して、感じて、時には、それぞれの登場人物の性格が自分とちょこっとでも似ている部分があれば、その人を理解しようとして、瞬間的に、その人と一体化したつもりになる。感情の小さな、喜びも、苦しみも、笑いも、痛みも、寂しさも、全部、全部、見落とす事無く、排除することなく、無差別に味わうのだ。 いい本の場合は、特に、一冊の本が、私の全人生になり、ページを捲るごとに、本の終わりと自分の存在の終わりが重なるような感覚に陥ってしまう。だから、私は、あまり、娯楽的な本を読まないのかもしれない。でも、たまに、読む文学は、私を救ってくれる。 文学は、すばらしい。 私の日常とは、全く別の世界に招待してくれる。そして、それを、あたかも、自分の体験のように、私は、誰にも迷惑を掛ける事も無く、自由に自分の感情と向き合いながら、自分のペースで、すべて自分に起きる気持ちを確かめながら、作家の感性のとりこになって、登場人物の気持ちを体験しながら、心がとくとくと満ち足りていく。 まさに、感情のエクスタシーにたどり着くのだ。 今、読んでいる本は、ヘミングウェイのパリでの生活のことなのだが、目の前にヘミングウェイがまざまざいるようなくらい、描写が上手な伝記で、一ページを読むのも感情的にたっぷりすぎて、読めなくなる章もある。 文学に酔いしれ、 創作に明け暮れ、 音楽に全細胞を埋め尽くされ、 気がついたら、晩年を迎えている。 そんな人生は、有り得るのかしら? そんな風だったら、素敵だな。 なるべく、できるだけ、私の感情の波に人は巻き込まない方法を選び、 自分で自分の感性への欲望の波に対応する方法を見つけることが、 私には出来る気がするのだ。 それは、歴史を通して多くの芸術家が私に残してくれた作品があるからこそ、 私は、生き延びれる気がする。 命は、絶つのでなく、舞うのが、いい。 いつも、何かに恋してる、それが、いい。 私の心は、いつも、愛で溢れている。 あなたが、知らないだけで、私は、沢山の愛を、 あなたに送っています。 そう、複数、大勢の、 あなたに、 です。 ................................... 生きている間に、沢山の愛を表現する。 それが、 人間であることの、 人間らしく生きることの、 条件の一つ。 そう感じています。
by superfineartist
| 2010-07-30 10:37
| 惑星MOMEKO
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