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2009年 04月 18日
メキシコのユカタン半島に行ってきました。ユカタン半島は、太古の歴史の繋がりが現在も流れていているとともに、大自然の美しさが素晴らしく、これまでのバケーション的なリラックスだけの時間とは全く違った、心に深く残る旅となりました。それは、この旅によって、目に見えないエネルギーの世界の現実が物理的肉体的な現実として、私の精神と肉体に大きな影響を与えることになったからです。 ユカタン半島には、セノテといって、上の写真にあるように、洞窟にできた水の溜まり場が2000個以上あると言われています。いろいろなタイプのセノテがあるけれど、大抵のセノテは、鍾乳洞の天井が崩れて地下にできた水溜りの部分が、数メーター上の地上から見えます。セノテにたどり着くまでには、時には、森林の中を歩き、地上に大きな穴が空いているタイプは、人工的に作られた階段を下って水のあるところに行き着きます。 鍾乳洞が地上のレベルで露出している場合は、階段を使わなくても、森の中を歩けば、地層の高い部分が崩れて鍾乳洞が目の前にパカリと現れる。セノテで泳ぐ為には入場料を払い、現地の人は、セノテをなるべく自然のままで維持したいという要望があるので、訪問者は一切日焼け止めクリームやお化粧など身に着けるのは禁止されています。 初めてセノテを訪れたとき、ただ見物するのではなくそこに実際入って「泳ぐ」為に行ったので、いくら天井が抜けているからといっても、このような不気味な洞穴のようなところで、お日様が陰る度に、宝石のように美しく透き通っていた水が、足の先も見えない紫のような緑のような暗い色に変わる恐ろしいところで、私は体を浸からせることができるのだろうか恐怖感を隠せませんでした。黒い小さな魚も一杯いて、足先を水に入れると、沢山の小さな口がつついてきます。天井には、こうもりが飛んでいて、私は、やっと勇気を振り絞って恐る恐る、水の中に入ったのでした。温度は、外の気温と全く違って、とてもひんやりと冷たく、このような大自然の神秘を感じながら泳いだ体験は、これまでに無かったです。メキシコの子供達は、全く躊躇することもなく、アメリカの子供達がプールに飛び込むような感覚で、はしゃぎながらセノテに入って泳いでいるのを見て、私は驚いてしまいました。人間の環境に対する順応度は、すごいです。 数箇所泳いだセノテの中でも、特に、ウエットスーツを来て、インストラクターが案内してくれる洞窟の中を歩いて泳ぐツアーは、筆舌に尽くしがたい体験でした。 (最後の写真)ここは、地下に隠れた洞窟のような鍾乳洞なので、入り口と出口以外は、外からの光は無いので人工的なライティングがされています。水は、サファイヤのような色で、実際にそこを泳いでいるという感覚が現在進行形でありながらも、頭と体が一致できないほど、感激と興奮と払拭できないぞっとする気持ちとが入り混じって、今から思い返しても、写真が証拠として存在しなかったら、実際に起きたかどうかわからない体験だったと言えるでしょう! ユカタン半島には、マヤ遺跡が沢山あるので、遺跡訪問をする為に来たのですが、セノテは、泳がなくても一見する価値はありますが、危険でもあります。ある有名なセノテでは、天井が突然崩れて、数年前に、日本人のハネムーンのカップルが亡くなったというショッキングで悲しい事件のことも知りました。マヤ人にとって、セノテは、地下の入ってはいけないまさに神秘の世界で、セノテの水は、神様の涙と信じられていたそうです。また、セノテによっては、青のペンキに塗られた子供や若い人たちが手足を縛られ、生贄として、葬られていました。私が泳いだセノテでは、特にマヤ遺跡の住まいの痕跡がある場所ではなかったけれど、残酷に生贄にされて殺された多くの魂は今日もきちんと供養されることなく蔑ろにされてきたので、私は、苦しみを抱えた土地のエネルギーをこの旅で感じ取りました。 人類が歴史的に多くの死者を出した土地や事件などを認識することで、団体として目的を持った意識のある供養の祈りを実行することで、その土地に残された死者の魂の苦しみを浄化させる力がるという大切さを体験しました。それと言うのも、マヤ遺跡には、死者に手を合わせる祈りの場が無いので、チツェン イツゥア などの遺跡を訪れた時は、土地のエネルギーが大変苦しいほど重かったからです。マヤ文明では、生贄として、とても残酷な方法で多くの人間の命が奪われていました。無知の中から生まれた儀式ですが、その多くの亡くなった命は、他の人を助けるために殺された名誉ある命であったと今日の人が認識し、亡くなった魂に感謝し、また、それらの魂を苦しみから開放さるためにも、ユカタン半島を訪れる観光客も現地の人も、気持ちを新たにして、みんなで死者の命の冥福を祈るべきだと思いました。私は、マヤ文明の統括下で生贄によって命を奪われたすべての魂に、そして、悲しくも遺跡を訪れて事故で無くなった人々の命の冥福を祈ると共に、それらの魂が無事安らかに天界へ行き着くことだできるように願い、祈っています。 小さいころから私は、陰のエネルギーを本能的に感じる敏感なところがあり、それらの不調和なエネルギーを生み出す人間が周りにいる場合、陰湿なエネルギーが善なる人を苦しめている事に耐えられず、真っ向からその陰なるエネルギーを陽に還元、あるいは、相手の準備ができていない場合は、せめて遮断できるように、苦しんでいる人を守る為に陰の要素と立ち向かってきました。人間は、本当に正しいことをしているときは、自分でも計り知れない大きな勇気と光に応援されます。でも、今回苦しんでいる人たちは、生きている生身の人間では無いのです。マヤ遺跡で多大なる人間の苦しみや悲しみのエネルギーと出会い、私は、いてもたってもいられなくなりそのエネルギーを陽のエネルギーに変えて救おうとばかりに自分がその膨大な苦しみを背負ってしまい、ボストンに戻ってから私自身が病気になってしまいました。 人間の体にはエネルギーを受け取って放出するつぼがありますが、チャクラのエネルギーの流れの調節を理解してきちんとできないと、体が請け負える陰のエネルギーの量は限られているので、それが多すぎると死んでしまいます。目には見えなくても、私の陽の光はマヤ遺跡に放出され闇が明るくなるために吸収されましたが、私は、代わりに陰のエネルギーを受け取ってしまい、自分の中のエネルギーのバランスが大きく崩れてしまった為に、ある友人のシャーマンが今回助けてくれなかったら、死者の苦しみを背負ったまま、自分自身が死んでいたかもしれない崖っぷちに立たされていました。今は、回復に向かっているので、こうして振り返ることができますが、精神が死にそうになっていたときは、何が自分に起きているのか分かりませんでした。結局、内と外のすべてのエネルギーが繋がっているという現実を体験することと、今回、私の意識が完全に目覚めていない為に私自身がそのエネルギーの交換によって死にそうになったことも理解しました。 今、マヤ文明の長年沈滞してきた苦しいエネルギーを軽くする手助になるような作品を作っていますが、これからは、私自身が、自分の体のエネルギーの勉強をしてそのコントロールを上手にできるように、訓練しなくてはいけないと実感しました。自分が沈没していたのでは、他の人を助けることもできません。私の意識革命の新しい一歩が始まりそうです。すべての目で見える現象も見えない現象も、すべてがエネルギーでできているという現実を理解し、人間に生まれてきたユニークな独自性を上手に活かしていくには、内と外のエネルギーの調和を自分で調節する訓練が生涯続きそうです。 私は、ちっぽけですが、世界は、果てしなく大きいです。そして、このちっぽけな私も、ありがたくも大きな世界の一部なんです。 ランキングに参加中。
by superfineartist
| 2009-04-18 08:31
| 惑星MOMEKO
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